糸魚川市に行ってきました。
2017年2月11日。糸魚川の根知谷で、「匠の里クラフト展」と「根知谷にきらめくキャンドルロード」が開催されました。
ことの発端は、お友達の梅津さんご夫妻(「katei to e」カテイトエ・画家)が、糸魚川に移住することになり、
匠の里クラフト展の開催場所である古民家にこの4月から暮らすことになったこと。
作家やクリエーター、情報発信ができる人の移住を推し進める糸魚川市の施策で、
梅津さんたち作家さんが、糸魚川と全国を結ぶ架け橋となるプロジェクトが動き出します。
その一環の、プレとしての大切なクラフト展と、もう10年の歴史をもつキャンドルロード。
12月29日、暮れの押し迫った時期に梅津さんからの
「イベントの撮影をしてほしい。火災の関係で、撮影や調整をお願いしていた方たちが忙しくなり、新たな撮り手を探している」
という、ただならぬ内容のメッセージが飛び込んできました。
そして、
「ただ撮影できるのではなく、作家・クリエーターとの親睦や関わった経験があり、これからの糸魚川との関係構築など、相互にプラスな働きが生まれるようなご縁」をもつカメラマンとして、梅津さんが糸魚川市側に推薦してくれている、という内容でした。
ずっと、ブランド物より作家もの、オンリーワンのものが好き。
美濃焼祭りの作家ストリートで、毎年陶器をコレクションしていた。
アクティブGの3階がすきだった。働けていてとても幸せで、作家さんとのご縁もたくさんいただきました。
画家として、またアーティストとして、梅津さんをアートフェスタにお招きしたことから、このようなご縁をいただくにいたり、とてもうれしかったです。
と同時に、地元カメラマンさんたちのことを思いました。
「もし私なら、私が撮りたいとおもうだろう。
こんなときだからこそ、撮ってほしい。」
それをそのまま梅津さんに伝えました。
もう一度、あきらめず、お願いしてみてほしい。
絶対に地元のことって、地元のかたが撮ったほうがいい。
今だからこそ、なおさら。
そこからまた、なにかが始まるはずだから。
それでも「今は無理だ、お願いしたい」と言われたら喜んで。
そんな、祈るような気持ちで梅津さんに託しました。
梅津さんもまだ現地にいるわけではない状況のなか、お心遣いいただきながら、地元の映像関係のかたたちとのコンタクトが取れ、みなさん、撮られるとおっしゃっています、そうお聞きしてとてもほっとし、うれしくなりました。
でも、白川さんも来てくださいね。
?と思いましたが、糸魚川市の施策は「相互交流・相互発信」。
歓迎してくださると聞き、現地へ向かいました。
名古屋のケイタさん(ムービー)、
イベントハウスさん(イベント企画運営・情報発信)
岐阜の白川がスチールを。
チーム梅津が組み上がりました。
行きの道中からとても良い雰囲気。
梅津さんからのご縁でまとまったチーム。
そして現地での3日間。
根知のあたたかいひとたちに触れて、すっかり根知の大ファンに。
みんなでつくる、クラフト展。
みんなでつくる、キャンドルロード。
とてもいい空気、みんなのやる気、あたたかいきもち。
普段わすれていることをたくさん思い出させていただきました。
地元のカメラマンさんたちとの交流も。
渡辺師匠に赤野さん。
私だったら、よそからカメラマンが来たら身構えちゃうだろうな。
おふたりは大歓迎してくれて、とてもうれしかった。
根知はもちろん、糸魚川のいいところたくさん知っていて、また今度伺ったときにご案内いただきながら、撮影さんぽできるのがとても楽しみ。
花火の写真は、実はお仕事で撮影するのが初めてでした。
そして実は趣味で撮ったこともほぼありませんでした。
つまり、「撮り方がわからない状態」。
でも、どうしても必ず撮りおさめたかった。
復興を願い、今年特別に打ち上げられる花火。
発数もそう多くはない。
神様お願い!でも、どうしよう。
そんなとき、会場の暗い中で、梅津さんが渡辺師匠を発見!
すかさず近寄ってご一緒させて頂く。
アドバイス通りにためしてみたら、生まれて初めての花火写真が撮れました。
「ぼくねえ、参考にならないよ。だって、必ず近くにあるものと一緒に撮るんだもん」
そうおっしゃった、そのまんま、撮りました。
見事、キャンドルロードと花火が共存。
師匠のおかげさまです。
あれからもう半月以上経ちますが、あの日がずっと続いているようです。
すでに根知谷ロス。
はやく根知に行きたい。
みんなに会いたいな。